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第1日目〜2001年6月9日


アリゾナ州・フェニックス



関空17時30分発JAL60便ロサンジェルス行きに搭乗するため、家を昼の12時に自家用車で出発。関空までの足を何にするかで迷ったが、出発前にアイを預かってもらうAさん宅に行かなければならないのと、飛行場に10日間駐車しても二人分の交通費とさして変わらないことが分かったので、土壇場で自家用車を使うことにした。これなら、大きな旅行カバンも楽々。

名神から近畿道を経由して関空に向かう途中、サービスエリアで簡単な昼食を採ったりしていたら、搭乗2時間前のチェックインにちょうど間に合う時間帯に到着。わずかな日本円をドルに換金したり、旅行障害保険の手続きをとったり、なんだかんだしていたら、暇を持て余す時間のないまま離陸となった。渡米は3回目だが、JALを利用するのは初めてのこと。周囲がほとんど日本人なのに、一抹の安堵感がよぎった。

座席は、もちろんエコノミー。夫に言わせれば、私の「還暦祝いの旅」だそうで…なら、ビジネスクラスぐらい用意してほしかった…といっては、贅沢な話。万一ビジネスクラスの話が出たとしても、間違いなく私は拒否していたはず。死ぬまで貧乏性は治りそうにない。それにしても、なんと座席の狭いこと。もっとも尾翼の65番台の席でトイレが近くて助かったが、ロスまでの10時間余り、先に飲んでおいた精神安定剤の効き目があったのか、その半分を眠ったままで飛んだ。

さて翌日到着、といっても、ロサンジェルスは、まだ9日の昼の12時前。つまり日本とアメリカの時差によって、私は9日という日を2回(40時間かな?)過ごすことになる。入国審査では、アメリカ人のおじさんに「カンコウですか〜?」と日本語で聞かれ、「イエス」と言わずに「はい」と答えて、なんなくアメリカに入国。ここで一緒の飛行機で来た人たちのほとんどは、入国審査と税関の手続きを終えると、出口を左に向かって進みロス空港の外に出ていくが、私たちはあえて右に曲がって国内線ターミナルに向かった。娘夫婦の待つアリゾナのフェニック空港まで飛ばなければならないからだ。

国内線に乗り換えるにあたっては、英語を話すことのできない私たちを気遣って、娘が某トラベル会社に依頼して案内人をつけてくれた。国内線の出入り口が見えてきたところで、私たちの名前を呼ぶ声が聞こえ、大きく手を振っている。近づくと、パーマをかけてごま塩頭の髪を肩まで垂らした日本人のおじさんが、人のよさそうな笑顔で、再度私たちが依頼を受けている本人かどうかを確認し、午後1時40分発フェニックス行きのA・A(American Airlines)の座席がとれているからと、先に立って歩き出した。

ロス空港の国際線から国内線に行くには、国際線の建物から一旦外に出なければならない。結構な距離を歩いてやっとたどり着いたとき、「なるほど。これじゃあ、地図を頼りに探しても無理だわ」と、娘の配慮に感謝の気持ちがわいてきた。しかも、指定された乗り場番号のゲート前まで行くと、「乗り場が変更されていますね」とナビゲーターのおじさんが涼しげな顔でおっしゃる。もうこうなると、夫婦だけで国内線に乗ることに挑戦しようなんて思いがあったとしたら、こっぱみじんになるところだったと思い知らされた。このおじさんへの報酬が、日本円にして1万円ぐらいだと後で娘に聞いたが、それがわずか1時間ぐらいの案内であったとしても、損した気分にはなれなかった。おまけに待ち時間にはちょっとした身の上話なども聞いたりして親しみを覚えた58歳のOさん。奥さんを白血病で亡くして、今は息子さんとの二人暮らしだが、もう10年近く日本の土を踏んでないと、微笑むように細めた目が寂しげだったと思ったのは、私の一人よがりの感傷か。

国内線A・Aは細身の小型機で、アメリカ人ばかりに囲まれて1時間余、上空から砂漠のような荒野を眺めながらフェニックスに到着。空港から車で10分ぐらいのところに住んでいるという娘夫婦が、手を振って迎えてくれた。いったんアパートメントに荷物を置きに帰り、日没にはまだ時間があるということで、娘婿が教鞭をとっている大学や市内巡りして、長い9日という一日が終わった。



  
アメリカ国内便 A・A(American Airlines)に搭乗。上空から見るフェニックス市街
 (画像をクリックし、拡大してごらんください)


      


旅 程 図